多くの者はこれにつまずき、かつ倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられる」。
またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
それゆえ、主の言葉は彼らに、 教訓に教訓、教訓に教訓、 規則に規則、規則に規則、 ここにも少し、そこにも少しとなる。 これは彼らが行って、うしろに倒れ、 破られ、わなにかけられ、捕えられるためである。
しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。
それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。
わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
われわれは盲人のように、かきを手さぐりゆき、 目のない者のように手さぐりゆき、 真昼でも、たそがれのようにつまずき、 強壮な者の中にあっても死人のようだ。
それから出る乳が多いので、凝乳を食べることができ、すべて国のうちに残された者は凝乳と、蜂蜜とを食べることができる。
それゆえ、主なる神はこう言われる、 「見よ、わたしはシオンに 一つの石をすえて基とした。 これは試みを経た石、 堅くすえた尊い隅の石である。 『信ずる者はあわてることはない』。
それゆえ主はこう言われる、 『見よ、わたしはこの民の前につまずく石を置く、 人々は父も子も共にそれにつまずき、 隣り人もその友も滅びる』」。